こんにちは、英会話と日本語のリンゴ・インスティテュートです
コロナ禍でのオリンピックが幕を閉じ、パラリンピックが開幕しましたね。アスリート達の活躍ぶりに”人の無限の可能性”を感じて心揺さぶられ、思わずTシャツ(写真の)を購入してしまいました。
さて、リンゴ•インスティテュート創立から20年を振り返る連載4回目です。前回はイギリスでの大学院入学前に受けた英語の特訓コースが、リンゴ•インスティテュートで提供しているカリキュラムに多大な影響を与えた事についてお話しました。今回は大学院生活で考えさせられた ”多様性” についてお話したいと思います。
<学生の出身国は90ヵ国以上>
ロンドン大学の中でも私が学んだのはSchool of Oriental and African Studies と言うカレッジです。キャンパスはいつもカレーの香りに包まれていて、庭からはアフリカの太鼓の音?が聞こえていました。学生はアジア、アフリカを中心に90ヵ国以上から集い、学んでいましたから、本当に毎日がオリパラムードだったのです。ちなみに、私が留学していた20年前のイギリスでは“アジア人”と言うと、インド、スリランカ、パキスタン、バングラデシュ人等を指していた様に思います。私が専攻していたApplied Japanese Linguistics はEast Asia Department に所属していましたから日本人は”東アジア人”と言うイメージでしょうか。
<多様性を尊重する大学>
人種の多様性だけではなく、本当に多種多様な学生がキャンパスに溢れていました。LGBTQ+の学生も多く、理解促進活動もすごくオープンでした。
学生の年齢もまちまちでした。留学当時、私は30代半ばで大学卒業から既に10年余り経過しており、勉強癖もすっかり抜けていましたから勉強についていけるか心配でしたが、私の専攻には大学卒業後すぐの20代の他にも30代、40代、60代の学生がおり、誰も年齢の事など気にしていないようでした。
また、キャンパス内には保育施設もありましたし、宗教毎に礼拝室もありました。イスラム教の学生は日に5回お祈りの時間があるので、その時間になると授業中でも礼拝室に行ってお祈りをしていましたし、驚く事に卒業試験中であってもお祈りの為の中座が許されていました。
いい意味でユルくて寛容な大学で、おかげで誰もが”自分はマイノリティ”と感じる事なく、のびのびと学ぶことが出来たのは、後から考えてもとても価値ある事でした。何かと規則の多い日本の学校生活に慣らされて来た身にとっては、居心地の良いキャンパスライフでした。
<異文化間コミュニケーション>
ただし、文化や価値観の違うクラスメイト達と意見交換するのは大変でした。日本に居りますと、圧倒的多数が日本人で、皆さん日本語を話します。似たような価値観を共有していますので“暗黙の了解”も多いです。でも海外の学生と話すときは”暗黙の了解”が通用しないので、思った事は全て“言葉”にしなければなりませんでした。はじめはそれがとても面倒で”少しは想像力を駆使して気持ちを察してくれればいいのに”と嘆いたものです それでも人間、慣れるものですね。慣れてくると逆に日本の友人から来るメールを読むと文章の曖昧さにイライラするようになりました。日本語は主語を省略することが多いので、たまに長文になると動作の主体が途中で変わってしまっている事も多いです。断定を避けて最後の方がぼかされていたり。送り主の頭の中ではハッキリしているのでしょうが、読み手には伝わりづらいですね。
こうした経験が現在リンゴ・インスティテュートで英語や日本語を教える際に気をつけるポイントになっています。
まだまだエピソードはありますが、今回はこの辺で。次回に続きます